さいたま支社長 石井 利典

入社のきっかけを教えてください
石井:
現会長(三⻆武一郎)とは、飲みに行くお店が一緒で意気投合しました。
飲み友達という感覚で、とても気があう仲間でした。
学生時代は、水球をやっていていて、大学は体育大学に入りました。
大学ではコーチングの勉強もして、卒業後は意外……と言われるのですが幼稚園で働いていました。
幼稚園の園長先生とプール部門の長に「水球のチームを作って良いよ」と言われておりそれがきっかけで入社した園で、こどもたちのプールや運動のコーチをしていました。
いざ働き始め3年目に待望の水球チームを作り充実した日々を送っていましたが、園児の入園や少子化の影響でプール部門の閉鎖、リストラになりました。
そんなときに、三⻆会長はいろんな会社を紹介してくださり転職をサポートしてくれました。
入社の決め手は?
石井:
三⻆会長のように、ここまで私の面倒を見てくれる人は居ないのではないか? と思ったんです。
面倒見が良くて、波長も合う、そんな三⻆会長の元で働きたい! という想いがありました。KSPに入社したあとも、チームを作る夢は諦められず、その後もいろいろやりましたね。
30歳までは社会人リーグに出場をしながら、小中の時にお世話になったボランティアチーム(与野水球クラブ)でコーチや監督をしていました。
水球を続けながらKSPを続けていましたが、今は忙しくて辞めてしまいました。
また出来るときがきたら、コーチをやりたいと思います。
入社して1年目、どうでしたか?
石井:
入社後は、グループ会社「有限会社KSPドアネット」に配属されました。
私が入社する前ドアネットは、車の代行事業とイベント警備を行っていましたが、イベント警備はKSPに移動しました。
そのあと機械警備取引先よりお声掛けが有り、介護輸送からスタートしました。今では幼児・学童・障害者施設の利用者様と幅が広がっています。
また、グループ会社に居た為、本体の株式会社KSPとは建物も違い、KSPのスタッフとはたまにイベント警備のため応援に行ったときに会う位でした。
会社の統合、支社長へ就任した頃のKSPはどんな会社でしたか?
石井:
株式会社KSPの創業者が社長時代に支社長になりました。
そのときのKSPは大変な時期でしたが、翌年、三⻆会長が二代目社長に就任し、会社の大改革をおこないました。
決算書の公開など、かなりオープンな状態となりました。
「幹部を育てる」という感覚から、「経営者を育てる」という感覚に大きく共育が変化しました。

心に残っている仕事を教えてください
石井:
一番の大仕事はさいたま新都心にできた大型ショッピングモールの警備隊立上げでした。
現在も30名弱の警備員を配置しています。合わせて、同じドアネットのメンバーだった岡庭君の育成にも力を注いでいました。
非常に優秀だったので、警備業を含めオンオフのイロハを岡庭君に教えました。
解らない部分はしっかり質問しながらも、自分の意見をしっかり述べてくれる彼の存在を非常に楽しみに心強く思ってました。
そして、彼は現在横浜支社の支社長として頑張ってくれています。

どんなことを大切にしていきたいですか?
石井:
さいたま支社のスタッフとのコミュニケーションを大切にしています。
自身の右腕とのコミュニケーションをこまめに取っています。
合わせて、アルバイトから新卒採用で正社員になったスタッフや、新卒スタッフの育成について右腕と協力し、共に切磋琢磨しています。
また、個人的には
・会社の成長は、社員の成長
・共育とは、「忍耐と継続、そして信頼すること」
・組織を変えるには小さなことで3年、大きく変わるのに10年かかる。
そして自分一人では何もできず、まわりの協力があってと考えています。
さいたま支社どんな支社にしたいですか?
石井:
他人と比べずに、自分の今と未来を考えて自分がどれだけ成長したかを見る、そんな支社にしていきたいです。
このページの先頭へ戻る