営業戦略推進室 大垣 広太

入社のきっかけを教えてください。
大垣:
親友の紹介でアルバイトとしてKSPに入社し、その後そのまま正社員になりました。
KSPで働き始めたころは、フリーターで少しのんびりしたいという気持ちと、母親が悪性リンパ種を患ってしまい、母が闘病中できる限り、そばに居てあげるのが親孝行なのかな? という気持ちが入り混じり、5年間フリーターとして過ごしていました。
KSPにアルバイトで入ってどうでしたか?
大垣:

入った瞬間から現場の隊長を任されたり、外勤者のリーダー的なことを任せてもらいました。
7年居たので、アルバイトながら現場で仕事を教えたり、少しマネジメント的な部分もやらせてもらっていました。
21歳のころ、KSPから「正社員にならない?」とお誘いを頂いていましたが、断ってアルバイトとして勤務していました。

アルバイトをしながら、専門学校へ進学
大垣:
もともと洋服が好きだったので、母の悪性リンパ種が完治してから、KSPで働きながら、23歳で文化服装学院に入学しました。KSPのアルバイトで稼いだバイト代で1足7万円の靴を購入したり……ファッションにかなり凝っていました。今はユニクロで買っていますが、当時はファッション命でしたね。
ちなみに隣の女の子のスカートは僕が縫いました(笑)。

専門学校に皆18歳で入学するなか、僕はフリーターを経て入学したので、みんなより5歳年上でお兄さん的な役割でした。先生に色々なことを頼まれたり、クラス行事を任されたり、学校行事に勤しんでいるうちに、だんだん就職活動がおざなりになっていて就職がなかなか決まりませんでした。
正社員として入社のきっかけを教えてください。
大垣:
26歳で新卒という、年齢的なものもあり、就職活動が難航し挫折していたところ、再度KSPから正社員として就職のお誘いがあり迷いに迷いましたが、フリーター生活に終止符を打つべく就職しました。
実際入社してみて、どうでしたか?
大垣:
この会社をもっと良い会社にしたいという想いでKSPに入社を決めて、すぐに会社に提案書を出しました。いろんな改善案を提案させていただきました。
アルバイト経験が長く、外勤経験は十分あったので、入社してすぐに内勤になりました。歴代最年少で東京支社長までステップアップすることができました。菅野が今年(2019年)、歴代最年少支社長記録を塗り替えましたが……(笑)この仕事は人と関わることが大切ですし、人が居なかったらこの会社はここまで成長していなかったと思います。いろんな人と真剣に向き合っていくことが大切だと思いました。
KSPのどんなところが好きですか?
大垣:

提案したら、それが理に適っていれば、どんどん採用してくれるところですね。
色々提案させて頂いてそれが通ると、「仕事しているな」と思います。
衝撃的だったのが、外勤の方の給与制度の見直しを何度か提案していて、採択していただいたことですね。あとは今回僕が「東京支社長を外れて、人事的なことをやりたい」とジョニー(現会長)に提案したところ、採用され人材開発部ができたことですね。

なぜ人材開発部を立ち上げようと思ったのですか?
大垣:
もっとこれから明確にKSPの将来ビジョンや、キャリアルートを示していけたらと思いました。道のりを示すことで、若い社員たちが安心して働けるような基礎づくりに努めていきたいと思います。
僕は「絶対会社良くしてやる!」とずっと折れないつるはしを持って、この会社のキャリアルートを切り開いていきました。
長いフリーター生活から始まった僕の前途多難な社会人生活、色々と会社に提案をしながら開拓してきた、僕のキャリアルートは舗装されていない獣道だったと思います。
この獣道をセメントで固めて、舗装して、緩やかなルート、急なルート様々な道がありますが、一緒に道を登ってくれる人を増やしていきたいと思います。
責任を持って、共に育っていきたいと思います。僕自身も入社したときから、キャリアアップすることで給料が3倍に増えました。この会社で働いて、資格を取得して、様々な経験を積んでキャリアアップすることで、給与が上がって、家を購入したり、家族と豊かに楽しく過ごしていくことができる。ということを自分の身を持って示せる存在でありたいですね。
どんなことを大切にしていきたいですか?
大垣:
うちの利益の源泉は人であり、一番大切にしているのも人ですね。
働く人達にとって、自己実現ができ成長できる場であること、働く人たちを取り巻くその家族を幸せにできる環境が作れることを大切にしていきたいです。

大垣さんの一日のスケジュール

9:00出社
10:00企業訪問(ベンチマーク)
13:00採用に特化した
WEBプロモーションづくり
人事制度などの再構築
18:00退社・中小企業家同友会活動
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